23日と24日のNHKラジオ「まいにちフランス語」で扱われていたのは、
ラ・ブリュイエール「Les Caractères 」の「パリの社交(La ville est partagée)」
という文章でした。
パリの都には、いくつもの社交の場があって、
それぞれがまるで“小さな国(sociétés)”のように存在していて。
そこには——
固有の法律、固有の慣習、固有の隠語、固有の冗談がある。
そして、その「小国」に属している間は、他の“国”を軽蔑している、という内容でした。
面白いのは、その文章の並べ方です。
フランス語の習慣では「重要度の低いものから高いものへいく(gradation)」。
本来なら「法律」が一番重要なはずなのに、ラ・ブリュイエールはあえて逆に並べています。
最後に出てくるのは「冗談(笑い)」。
まるで、その“小さな国”にとって本当に大事なのは、
そういう閉じた内輪のルールなのだと、皮肉っているようでした。
しかも——
その「小国」が存在している間(Tant que cet assemblage est dans sa force,)」は、
という一言。
つまり、その世界はずっと続くわけではない、という前提がある。
それを聞いていて、ふと思い出したのが、学校の中にあった“グループ”のことでした。
誰と一緒にいるか、どんな空気で話すか、その中だけで通じる言葉や距離感。
外から見れば小さな違いなのに、
その中にいると、それがすべてのように感じてしまう。
似たようなものは、大人になってからも見かけます。
社会人のサークルだったり、高齢者の集まりの中だったり。
どこにでも、小さな「国(sociétés)」のようなものがある。
でも。
そういう場所って、離れてしまうと、驚くほどあっけなく意味を失うんですよね。
あれだけ大事だったルールも、あれだけ気にしていた関係も、
外に出てしまえば、ほとんど残らない。
それでも。
その中にいる間だけは、確かに“世界のすべて”のように感じてしまう。
だからこそ、人はそこに価値を見出して、ときには他を軽蔑してしまうのかもしれません。
17世紀のパリと、今の私たち。
時代も場所も違うのに、人の在り方は、あまり変わっていないのかもしれない。
そんなことを思った講座でした。

コメント