先日、Pokémon GO Festでお台場へ行ってきました。
イベント中は、お台場中を歩き回って、くたくたになった帰り道‥。
青海駅へ向かうため、久しぶりに昔のヴィーナスフォートの前を通りました。
そこは、かつて何度も訪れた場所です。
建物自体は残っている。
けれど、かつてのエントランスには「閉館しました」の案内。
あれほど賑わっていた場所なのに、今は静まり返っていて、人もほとんど足を止めません。
何だか、不思議な気持ちになりました。
ヴィーナスフォートがあった頃、私は年に何度もお台場へ通っていました。

※2023年6月撮影。ZEPP Tokyoを含むパレットタウン跡地。現在はトヨタアリーナ。
隣にあったライブハウス「ZEPP Tokyo」に、
推しのアーティストのライブを観に行っていたからです。

※2018年12月撮影。
クリスマスの時期になると、ライブがなくても訪れていました。
館内の噴水広場で、人工の雪を降らせるイベントがあったから。

※2019年12月撮影。
今思えば、一緒に行く人はその時々で変わっていました。
学生時代の友人。
ライブ仲間。
職場で知り合った人。
当時は、これからもずっと続くような気がしていたけれど、
今ではまったく連絡を取っていない人の方が多い。

※2023年6月撮影。ヴィーナスフォート。
そんな風景を眺めていた時、ふと思い出した曲がありました。
フランスの歌手、ジュリエット・グレコが歌う
「Il n’y a plus d’après」
‥です。
日本語では「あとにはなにもない」と訳されています。
今月号の「まいにちフランス語」の冒頭コラムに、この曲が紹介されていて、
久しぶりにそのタイトルを見たばかりでした。
かつて賑わっていたサン=ジェルマン=デ=プレの風景を懐かしむ歌。
過ぎ去ってしまった時間。
戻らない場所。
そして、そこにいた人たち。
そんなものへの郷愁が漂っています。

この曲を初めて聴いたのは中学生の頃。当然、フランス語なんて知りません。
意味もよくわからず「物悲しい曲だな」くらいにしか思わなかった。
でも今は、歌詞の中で、時々聞き取れる単語があります。
「明日(demain)」
「午後(midi)」
「今日(aujourd’hui)」
「もはやあなたではない(plus toi)」
「もう私ではない(plus moi)
「カフェクレーム(les cafés-crème)」
それだけです。
全部理解できるわけではありません。
けれど、断片的に意味が見えるだけでも、歌の景色が少し近く感じられるようになりました。
そういえば。
この歌を教えてくれた伯父がこんなことを言っていました。
「おっさんになると、シャンソンが聴きたくなンだよ」
当時は意味がわかりませんでした。でも今なら、少しだけわかる気がします。
年を重ねると、
なくなった場所や、
会わなくなった人や、
過ぎ去った時間が、
少しずつ増えていく。
だから、こういう歌が心に引っかかるのかもしれません。

青海駅から、ゆりかもめに乗りました。
窓の外には、かつて観覧車があった場所が見えます。
建物は残っている。
でも、あの頃の風景はもうない。
『Il n’y a plus d’après』
――あとにはなにもない。
そんな歌の題名を思い出しながら、私は静かな車内で東京の景色を眺めていました。

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