今回、予定してなかったけど、急きょ、訪れた場所があります。
それは、世界遺産「富岡製糸場」。
門構えはひっそりしていたので、まあ正直こんなものかって思ってました。
でもね。この先がすごい奥行きなんですよ。
広さは東京ドーム1個分でもまだ余るんですよ‥。
ここは、「東置繭所」。一番最初に目に飛び込んできた建物で、国宝です。
2階には、文字通り繭を置いていて、1階で作業していたそうです。
そして、この広大な工場を設計したのは、フランス人のオーギュスト・バスティアン。
至る場所に見られる煉瓦は、フランス人技師が日本人に教えて焼き上げていたのですね。
そして、このレンガの積み方も「フランス積み」と呼ばれるものです。
検査人舘。
日本の政府は、フランスから、多くの生糸の技師や工女呼んでいました。
その技師さん達が寝泊まりしていた建物です。
コロニアル様式、と呼ばれる建物の構造になっています。
繰糸所。ここも国宝です。
丸い屋根瓦が見えますが、あれは、日本の夜明けをイメージして丸くしたそうです。
繰糸場の内部。天井は特徴的な「トラス構造」になっていました。
繰糸場の中。両側に、糸を繰る機械がずらっと並んでいました。うつくしーぬ。
ここで、繭から生糸を作り出していたのです。
この繰糸機の仕組みを聞くと、無駄が一切ない。本当によくできてる!
この工場ができた後、日本の絹糸の性質や出荷量がぐんと上がり、
世界一の輸出国となりました。いや、ほんとすごいな。パワーある話だわ。
それらの機械を動かすために使っていた、通称「ブリュナエンジン」。
西繭置所。(国宝)
2階は貯繭庫。このように、袋(繭袋)に繭を入れて貯蔵していたのです。
ちなみに、お蚕さんは1匹ではなく、家畜と同じ1頭という数え方なんだって。
2階から見た風景。手前のでっかい鉄の桶は「鉄水溜」。
製糸に必要な水を入れておくためのものです。造船の技術を駆使して作られました。
中央の煙突は、繭をかびさせないようにするための何か。忘れちゃった(笑笑
煙突の高さは、約37mあるそうです。
社宅。当時の生活(昭和30〜40年ぐらい)が再現されています。
こんな感じで。
ざっと見て回っただけでも、1時間はゆうに過ぎます。とにかく広いんだよ。
ワカドリは、団体ガイドさんツアーを申し込んだので、
実際は、もっと時間がかかってました。でも、様々なことが知れてよかったです。
そういえば。
途中、道路の案内板に『富岡製糸場』と、日本語と英語表記に続き、
なぜか、フランス語『Filature de soie de Tomioka』と書いてあるのを見て、
なぜにフランス語なのか?‥と、不思議に思ってました。
でも、富岡製糸場を見学して、一気に謎が氷解した!
製糸場建設の総指揮を務めた人が、フランス人、ポール・ブリュナ氏だったからなんですね。
このブリュナ氏は、当時の内閣総理大臣とほぼ同じ給料をもらっていたそうです。
国は、諸外国に劣らない日本にしたい、という思いがあったからでしょうね。
そして、ブリュナ氏も、
それだけ手厚く国から雇って貰えば、そりゃ技術の遂を極めたものを教えるし、作るわな。
働いていた工女たちも、「一級」「二級」「三級」とあって、
一級工女になれば、給料も上がるけど、
自分の実家へ戻り、富岡で学んだ技術を教える指導者になっていました。
皆が頑張れば頑張るほど、幸せになったんですねえ。
そんな考えることもあり、とても充実した見学となりました。
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