今日で、4月から始まっていたフランス語講座が終わりました。
4月から6月半ばまではラ・ブリュイエールを読み、
その後はルソーやヴォルテールなど、啓蒙思想の文学を読み解いてきました。
そして最後の2日間に取り上げられたのが、コンドルセとルイ・デルグレでした。
最後にこの2人が出てきたことで、なんだかこの講座全体のまとめのようなものを感じました。
コンドルセの「公教育論覚書」
まず9月24日は、コンドルセの「公教育論覚書」。
コンドルセは、公教育について論じる中で、
権力と学問の関係についてもかなり鋭いことを書いています。
一般に、権力というものは、その性質上、学問の敵になり得る。
そんな趣旨の文章です。
もちろん、権力そのものがすべて悪い、という単純な話ではありません。
ただ、権力を持つ側にとって都合の悪いことを調べる人がいたら、
面倒な存在になることはあるでしょう。

「それ、本当なの?」
「その数字は、どこから出てきたの?」
「ほかの資料ではどうなっているの?」
そんなふうに、いったん立ち止まって確かめる人です。
コンドルセが公教育に求めていたのも、単に知識を詰め込むことではなく、
自分で考え、判断する力だったのだと思います。
oser penser※あえて考える
そこで、以前ラ・ブリュイエールを読んだときに出てきた、
私の好きなフランス語を思い出しました。
oser penser※あえて考える。
みんながそう言っている。
テレビでも、ネットでも、誰かがそう言っている。
でも、
「……本当に?」
と、一度立ち止まってみる。
それだけでも、案外大事なのかもしれません。

今はSNSや短い動画などで、強い言葉が次々と流れてきます。
「○○が〇〇を壊している」
「○○は追い出せ」
そんな主張を目にすることもあります。
私は、
その場で「これは正しい」「これは間違っている」とすぐに判断することはできません。
だからこそ、
「その根拠はどこにあるんだろう?」
「一つの例を、全体の話にしていないかな?」
「別の資料を見たら、違うことが書いてあるかもしれない」
と考える。
分からなければ、「今は分からない」でいい。
それなのに、短い動画を次々と見ていると、
考えるより先に「はい、次!」「はい、また次!」となってしまう(笑。
もしかすると今は、情報が足りないというより、
考えるために立ち止まる時間そのものが少なくなっているのかもしれません。
最後の授業はルイ・デルグレの宣言文の一部分
そんなことを考えた翌日の9月25日。
最後の授業で取り上げられたのが、ルイ・デルグレでした。
……誰?(笑)
私は今回の講座で初めて知りました。
デルグレはマルティニーク生まれの軍人で、
1802年、奴隷制の復活に抵抗してグアドループで戦った人物です。
当時、フランスでは1794年に奴隷制が廃止されていましたが、ナポレオン政権下で植民地における奴隷制の復活が進められました。
グアドループではその動きに対する抵抗が起こり、デルグレはその中心人物の一人となりました。
そして、デルグレが残した「グアドループの自由と先住民のための宣言」の最後に、こんな言葉があります。
Et toi,postérité!Accorde une larme à nous malheurs et nous mourrons satisfaits.※おお後世よ。私たちの不幸のために、一筋の涙を流して欲しい。
講座でこの一文を読んだとき、少し胸に残りました。

「私たちを助けてほしい」でもない。「私たちを勝たせてほしい」でもない。
ただ、
後世の人たちに、私たちがなぜ抵抗したのかを知ってほしい。
そんな言葉にも読めたからです。
デルグレたちは1802年5月、降伏することなく、仲間たちとともに自ら命を絶ちました。
そして今、その言葉を200年以上後に、私は日本でフランス語を勉強しながら読んでいる。
そう考えると、私はまさにデルグレが呼びかけた「後世」の一人なのかもしれません。
もちろん、私ができることなんて、
講座で読んで「こんな人がいたんだ」と知ることくらいです。

それでも、知らなかったことを知る。
そして、知ったことについて少し考えてみる。
それだけでも、
過去から受け取ったものに対する、小さな応答なのではないかなと思いました。
コンドルセは、自分で考え、判断する力を教育によって育てようとした。
デルグレは、自分たちの経験を後世に残そうとした。
時代も立場もまったく違う2人ですが、私にはどこか同じ方向を向いているように感じました。
誰かが用意した答えを、そのまま受け取るのではなく、自分で考えること。
そして、知らなかったことを知ること。
今回の講座では、そんなことを何度も考えさせられました。
「puisez à la source」水は源泉から汲め
そういえば。
ラ・ブリュイエールを読んだときに出てきた、
「puisez à la source」※水は源泉から汲め
という言葉も好きでした。
分からないことがあったら、自分で調べてみる。
誰かの言葉だけで終わらせず、できるだけ源までたどってみる。
そして、それでも分からなかったら、「うーん、まだ分からないな」
と、そのままにしておく。
すぐに答えが出なくてもいい。
その「分からないまま立ち止まっている時間」こそが、
「考える」ということなのかもしれませんね。
「Art de paroleを学ぶ〜18世紀を読む〜」を3回繰り返し聞いたけども。
4月から始まった「まいにちフランス語講座」応用編、
「Art de paroleを学ぶ〜18世紀を読む〜」ですが、私は今回3回目のリピでした。
最初はラ・ブリュイエールの文章に「難しいなあ」と言っていたのに、
最後にはコンドルセやデルグレを読みながら、こんなことまで考えることになりました(笑。
フランス語を勉強しているはずなのに、
最後に考えていたのは「どう生きるか」みたいな話だったりする。
きっかけは、ポケモンの二次創作の、カロスを舞台にした物語を描くためだった。
ものすごっく気軽な気持ちで始めたフランス語だったのにね(笑。
さて。
10月からの講座ですが、
また「Art de paroleを学ぶ〜18世紀を読む〜」の再放送です。
私は、4回目のリピをするのでしょうか?今のところ、まだ未定です(笑。

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