今週17日(木)の「まいにちフランス語」応用編では、
モーツァルトの『フィガロの結婚』から一節を読み解きました。
『フィガロの結婚』って、お芝居自体は中学生の頃に見たことがあります。
当時は、わけも分からず、
「嫌な貴族のおじさんを、使用人のフィガロが懲らしめてやってスッキリ!」
……くらいに思っていました(笑)。
モーツァルトの序曲も、あまりにも有名ですよね。
ところが。
今回、フランス語を勉強しながら一節を読んでみたら、
フィガロの見え方が少し変わりました。
フィガロが語っているのは、
単純な「貴族に仕返ししてやったぜ!」という話ではありません。
彼には、彼自身の人生についての苦悩がある。
「Forcé de parcourir la route où je suis entré sans le savoir.」
※知らずに入った道を歩くことを強いられた
そんな人生だった、と。
当時の社会では、身分による制約がありました。
生まれた家や身分によって、進める道がある程度決まってしまう。
本当はこうしたかった。でも、その道には進めない。
夢を諦めなければならない。
そういう人生もあったのでしょう。
……重い。
中学生の私は、そんなところまで考えていませんでした。
でも、読んでいて思ったんです。これって、今もあるよね、と。
もちろん、昔の身分制度と現代社会を同じだと言いたいわけではありません。
今だって、経済的な理由で進みたい道へ進めないことがあります。
大学へ行きたかったけれど、家計の事情で諦める。
やりたい仕事があったけれど、生活のために別の仕事を選ぶ。
自分がそういう思いをしたからこそ、親になったとき、
「子どもには、同じ思いをさせたくない」
と思って、必死に働いて、お金を貯める。
子どもに、できるだけ好きな道へ進んでほしい。
自分が諦めたものを、子どもには諦めてほしくない。
そうやって親が苦労していても、その苦労は子どもからは見えないことがあります。
子どもに見えるのは、
「これを買ってもらえた」
「この学校へ行けた」
「うちはこんな生活をしている」
‥という、目に見える部分だけ。
そこから、
「親ガチャ」
なんて言葉が出てくることもある。
もちろん、子どもが親の苦労をすべて理解できないのは、
ある意味では仕方のないことなのかもしれません。
子どもの頃は、自分の目の前にある世界が「世界の全部」に見えるからね。
そして今は、SNSもある。
昔なら「どこか遠い国のお話」だったような生活が、
スマホを開けば毎日のように流れてくる。
豪華な家。
高級な食事。
旅行。
ブランド品。
衝突もなく仲良く楽しげな家族。
自分とはまったく違う生活をしている人たちが、
まるで同じ世界の隣人のように見えてしまう。
でも。
その人の生活の裏側に何があるのかなんて、画面を見ているだけでは分かりません。
世界って、そんなに単純じゃない。
それが少しずつ分かってくるのは、
やっぱりある程度の年齢になってからだと思う。
……悲しい世界ですよね。
そんなことを考えながら読んでいたら、最後のフィガロの言葉が妙に重く感じられました。
「J’ai tout vu, tout fait,tout usé.Puis l’illusion s’est détruite;et trop désabusé…」
先生の訳では、
「俺はなんでも見て、すべてやって、全てダメにした。今は白々とした現実が見える」
先生は、このセリフについて、
「当時の社会制度への強い失望が込められている」
と解説していました。
もちろん、そういう意味なのでしょう。
でも私なりに訳すと、
「俺はなんでも見て、すべてやって、すべて使い果たした。そして幻想は消えてしまった。俺はもう、すっかり幻滅している」
‥に聞こえた。
つまり、
「頑張ったけれど、報われなかった」
という絶望にも聞こえました。
何かをやってみた。
頑張ってみた。
でも、思ったようにはいかなかった。
そして最後に残ったのが、
「幻滅した現実」。
中学生の頃は、
「フィガロが嫌な貴族を懲らしめてスッキリ!」
くらいにしか思っていなかったのに、
今は、ただひたすら重い言葉が心に響きました。
年を重ねて、フランス語を勉強しながら読み直してみたら、こんなものが見えてくるとは。
同じ作品でも、自分が生きてきた時間によって、見えるものが変わるものですね。
ところで。
ここまで重たいことを考えながら、私はふと思いました。
……モーツァルト、これに曲つけたの?
いやいやいや(笑。
『フィガロの結婚』の元になったのは、フランスの劇作家ボーマルシェの戯曲です。
この戯曲は貴族社会への批判を含んでいて、ウィーンでは上演禁止になっていました。
それを、ダ・ポンテがオペラ用の台本に仕立て直し、モーツァルトが音楽をつけた。
そして1786年、ウィーンの宮廷劇場で初演されたそうです。
初演は好評で、観客からアンコールが相次いだという記録も残っています。
元の戯曲がウィーンで上演禁止になるほどの題材。
それをオペラにして、しかも宮廷劇場で上演する。

……モーツァルト、ぶっ飛んでますね(笑。
しかも、モーツァルト財団の資料によると、
このオペラは皇帝ヨーゼフ2世の特別な命令によって書かれたと考えられているそうです。
いや、もう何がどうなってるんだ(混乱。
モーツアルトを題材にした映画や創作物を読んでいると、
「貴族社会に喧嘩を売ったモーツァルト」というイメージがありました。
でも実際は、そんな単純な話ではなかったみたい。
それでも私は、
「こんな題材をオペラにするんだ?」
と、ちょっと驚いた題材を作曲した、モーツアルト。
天才って、何を考えているのか分かりませんね(笑。
中学生の頃には「フィガロが悪い貴族を懲らしめてスッキリ!」だった『フィガロの結婚』。
何十年か経って、フランス語を勉強しながら読み直してみたら、
「頑張ったのに、報われない人生」
という、もっと苦いものが見えてきました。
昔の作品を、もう一度違う自分で読む。
これも、オリジナルの言語で書かれた語学読む面白さの一つなのかもしれませんね。
そんな偉そうなこと言ってる私だけど、
フランス語自体、まだまだ理解が追いついてないのです。あははは。

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