先日、叔母の49日法要がありました。
叔母が亡くなったのは本当に突然のことで。
亡くなるほんの数日前まで、普通に電話で話をしていたんです。
「餃子、いつ食べに行く?」
そんな何気ない会話をしていました。
だから。
叔母の住んでいた家の整理をしたのにも関わらず、
今でも、ひょっこり現れそうな気分に陥っていました。
49日が来ても、寂しいものは寂しい
49日というと、
「少しは気持ちが落ち着く頃」
と言われることがあります。
でも実際はそう簡単ではありませんでした。
法要で飾られていた叔母の写真を見ていると、
「あらどうも〜」
なんていう声が、耳の奥で思い出されます。
親族が集まり、お墓の前で納骨をしました。
母も兄も涙ぐんでいました。
私も寂しくないわけではありません。
ただ、不思議と悲しみだけではありませんでした。
空へ消えていくお経の声
お坊さんがお経を唱え始めると、
その声が墓地の奥の木立を越えて、高く空へ上がっていくように感じました。
もちろん実際には音が響いているだけなのかもしれません。
それでも私は、その声を聞きながら、
「ああ、叔母はきっと大丈夫」
と思いました。
理由はわかりません。
でも、その時はそう感じました。
叔母らしい食事会
法要の後は親族で食事会をしました。
これがまた、本当に豪華で、量も多い(笑。
デザートを食べ終わったら、喪服のお腹部分がポッコリつきでた( ・∇・)あははははは。
叔母は生前、一緒に食事をすると、
「ちゃんと食べた?」
と必ず聞いてきました。
「うん。たくさん食べたよ」
と答えると満足そうに笑う。
だから、この日の食事も、どこか叔母らしい雰囲気でした。

うな重、とてもおいしかったです。
……そして叔父の声は、相変わらず大きかった(笑)。
「じゃまたね」
食事会も終わり、テーブルに置かれていた叔母の写真が片付けられました。
その時です。
ふと、
「じゃまたね」
という声が聞こえた気がしました。
叔母がいつも別れ際に言っていた言葉です。
もちろん、本当に聞こえたわけではありません。
ただ、そう感じただけ。
でも、その言葉が妙にしっくりきました。
悲しいけれど、お別れではなくて、
「またね」
なんだな、と。
帰りの車の中で、そんなことを考えていました。

ありがとう、陽子ちゃん。
どうかゆっくり休んでください。
以前のブログにも叔母の話がちょこっと出てます。


コメント