ごぶさたでした。
ほぼ、一ヶ月ぶりの更新です。
やっと、ブログを書こうかなと思える余裕ができてきたの。
実は。
先月、岡山のおばあちゃんが、永遠の旅にでました。
うちは、子どもの頃、ママうえが病気で入院していて、
ほとんど、おばあちゃんに育ててもらったようなもの。
なので、自他ともにカンペキなおばあちゃんっ子。
大人になってからも、毎年、必ず一回はおばあちゃんのいる
岡山に様子を見に行っていました。もちろん、去年も。
電話はそんなに頻繁にできなかったけどしてたし。
手紙もカードも送ってた。
でも。
突然、かかってきた母からの電話。
うちは、そのとき、お昼を食べに行こうかと
外に出た時でした。
(母は、おばあちゃんの様子見のため、
先に岡山に行っていました)
おばあちゃんの具合が良くない。あぶないかもしれない。
延命措置をどうするか、お医者さんから聞かれたのよ。
もう、慌てて家に帰って、即新幹線に乗り、その日の
18時ぐらいに、おばあちゃんの入院していた病院に
行きました。
そして、着いて早々に、
病院で、担当医師から丁寧な説明を受けました。
この時の話は、割愛します。
結果的に、うちは、おばあちゃんの最期を看取りました。
手を握って、ずっと呼びかけてました。
ありがとう。本当にありがとう。
もう、その言葉しか出なかったです。
午前1時16分。
一度もわたしの手を握り返すこともなく、
おばあちゃんは、穏やかに旅に出ました。
うちの呼びかけに、
一度も返事はなかったけど、
きっとおばあちゃんには届いてる。
そう思っていたい。
午前2時すぎ。
おばあちゃんから、亡くなった時には着せてほしいと
言われていた着物を、おばあちゃんの家に取りに
戻るため、ひとりタクシーに乗っていました。
ぼうっと景色を見ていると、気づいたら泣いてました。
ハンカチで涙を拭いて、また景色を見て泣いて。
岡山のタクシーの運転手さんって、ほんとよくしゃべるけど
この時は、さすがに話しかけてこなかったです。
わたしが死んでもなかんでええんよ。
友だちも、大好きなお母さんにも会えるんやから。
おばあちゃんがよく言っていました。
だからといって、泣けないわけないです。
それを思い出すたびに、ずっと泣いてました。
おばあちゃんの最期の着物は、
家紋がはいった黒の礼装でした。
おばあちゃんのお母さんが、あつらえてくれたものだと
聞いています。
おばあちゃんの家紋は(女紋)とっても珍しいから、
よく自慢してました。
そんなご自慢の着物を着せてあげられて
ほんとによかったです。
あとのお通夜やお葬式は
あれよあれよという流れで、あまりよく覚えてません。
ただ、思ったのは
葬儀屋さんすごいなーという感想です。
遺族がぼんやりしていても、きっちり進行してくれます。
やるべきことも、教えてくれました。
まあそれなりにお金を払うんですが、
なにもかも突然すぎた、わたしたちにとっては
ありがたかったです。
あと、おくりびとさんは素晴らしいと思います。
うまく着せてあげられなかったおばあちゃんの着物も
ちゃんと着せていただきました。メイクも。
おかげで、お葬式に来てくださった方から、
きれいだねーと口々に言ってもらえました。よかった。
そして。
うちは、初めて火葬場にいき、最後まで残りました。
あの時の気持ちは、なんともいえないです。
火葬場を出ると、予報にはなかった小雨が降ってました。
すぐやんだけど、
もしかして、おばあちゃん悲しいのかなと思ってた。
そのあと。
お骨の箱を持ち、
タクシーで戻ったんですが、とにかく重かったです。
おも‥って呟いたら、
伯母が、
箱が重いのよ。その大きな箱がね。
と返してきました。
口から生まれてきたひと、と言われる伯母が
その一言だけいって、あとはずっと黙っていました。
‥そしていまは。
ワカドリは、いろいろ、おばあちゃんのあとのことを
やってる最中なのです。
1ヶ月ほど経つと、なんとなく悲しみから立ち直れるというか
前向きになってきます。
最近になって、やっと、
気晴らしに買い物にも行けるよーになりました。
なので、うちはだいじょうぶです。
そろそろ、暖かくなってくるし、歩いていかないとね。
そんなワカドリでした。
コメント
お疲れ様です。ゆっくり休んでください。
ありがとうございます〜(^ ^)