先日、懇意にしていた親戚の方が亡くなりました。
突然のことで、びっくりしまして、未だに、実感がわきません。
葬儀や、その後のことを聞いたんですが、しみじみ思ったのは、
エンディングノートって必要だな、と。
これね、祖父母が亡くなった時も、ワカドリ、めっちゃ思いました。
祖母の時は、エンディングノート的なものを残してくれていたし、
祖父の時は、エンディングノートがなかったけど、
伯母が、どうするのかを聞いていたので、とても、事がスムーズに進んだんですよね。
死生観は、人それぞれなので、強要はしないし、
エンディングノートを、書く書かないは、個人の自由です。
そういう前置きで、ワカドリが経験した視点で言うけども。
エンディングノートが、大事なのは、財産の話だけじゃないなあと。
てか、エンディングノートって言うと
「私には遺すもの(財産)がないから〜」というのをよく聞くんですが、違う!
正直、遺すものがある方に関していえば、
生前に贈与を済ませておくか、遺言公正証書をつくったほうがいい。
遺言公正証書は、公証人合同役場で作れるんですが、メリットありあり。
てか、故人の預貯金系の手続きは、ほんとお〜〜〜に大変です!!←切実。
だけど、そういうめんどくさい手続きが、遺言公正証書だけですんなり終わる。
デメリットがあるとするなら、費用がかかる、そして手間がかかる。
だけど、遺すものが沢山ある方は、作っておいたほうがいいです。
突然のオムライス。うまい。
話しを戻して。
エンディングノートのことですが、
財産以外に、書き残してくれて助かった点を、ワカドリが経験したことで挙げておきます。
延命治療はどうするのか。
最期の時、誰に連絡すればいいか。
葬儀はどういう形(宗教か無宗教か)か。
葬儀は誰を呼んでほしいのか、
家族葬なら、どのあたりの人(親族とか)まで呼んでほしいのか。
その時、香典はどうするのか。
特に、この「香典云々」は、生前に書き残してくれたおかげで、本当に助かった!
昔気質で義理の厚い親族の方に。
申し訳ないけどお気持ちだけ⇔いやいやそう言うわけには。
‥というやりとりを。
生前、書き残したノートに云々〜。なので故人の意志なんです。
‥と。こういうやりとりが、一回で終わらせられます。
※後々、「供えてください」と果物やお菓子を頂きましたが、
それはありがたく頂戴しました。
これを、生前に聞いているかいないかで、大分違うと思う。
でもまあ、
今でも心残りなのが、祖父から、生前「遺影はこれを使って」と言われていた写真が、
亡くなった後、どこにしまっているのかわからず、
家中ひっくり返して探したけど出てこない。
結局、アルバムの中で、いい顔をしているものを選んで使ったんですよ‥。
写真を、ちゃんと祖父から預かっておけばよかったなあ。
そんなことを、カステラ食べながら、家族と話していました。
自分の人生を、どう生きるかは、自分自身で決められるけど、
死ぬ時期は、自分で決められないからね‥。
ただ「遺された人(達)」は、存在しています。
その人(達)が困らないように、という、
最期の気遣いが、エンディングノートなんじゃないか。
老いも若きも関係なく、必要かなあ、と思い立った時に、
わかりやすい所へ書き残すか、家族で話し合ってみてほしいと思います。
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